【書評】『生命式』レビュー|「正常」という名の檻の中で窒息しそうなあなたへ。
静かな部屋で、アールグレイの湯気が揺れている。 人事労務という仕事柄、私は日々「就業規則」や「法律」という名のルールを守り、また守らせる立場にいる。組織の秩序を保つことは大切だ。しかし時折、この整然とした社会システムそのものが、巨大な虚構のように感じられる瞬間がある。
もし、私たちが信じている「正しさ」が、明日から真逆にひっくり返ったらどうなるだろうか。
今日紹介する村田沙耶香の『生命式』は、そんな思考実験を極限まで突き詰めた短編集だ。正直に言えば、この本は劇薬に近い。疲れている時に不用意に開くべきではないかもしれない。だが、今の現実に息苦しさを感じている人にとって、本書は逆説的な救いになるだろう。
結論:この記事は「読む価値」ある?
- こんな気分向け
「常識」や「普通」を押し付けられて疲弊している時。あるいは、脳髄を揺さぶられるような強烈な非日常を求めている時。 - 読むと得られるもの
凝り固まった倫理観の破壊と、「正常とは何か」を問い直す冷徹な視点。 - Low calmの判定
「精神的体力がある時に読むべき『劇薬』。万人に推奨はしないが、刺さる人には一生の一冊になる」
Low calmが「グッときた」ところベスト3
【第1位】あまりに合理的で、あまりに狂気的な「愛」の形

表題作「生命式」の世界では、亡くなった人間を「食べる」ことが最大の供養であり、さらにはそれをきっかけに男女が結びつき、新たな生命を生み出す儀式が行われる。 文字にするとおぞましいカニバリズムだ。しかし、著者の筆致は驚くほど淡々としており、むしろその世界ではそれが「崇高な愛」であり「社会貢献」として描かれる。
難病を経験し、自分の体が単なる「物質」であると痛感した経験がある私には、この設定が単なるグロテスクなホラーだとは言い切れない何かを感じた。資源が枯渇した未来において、死を無駄にせず生へ循環させるシステムは、恐ろしいほど合理的だとも言えてしまうからだ。私たちの倫理観など、環境が変われば一瞬で崩れ去る砂の城なのかもしれない。
【第2位】「正常」を演じることの滑稽さと悲哀

収録作の多くに共通するのは、社会の「普通」に適応しようと必死にもがく人々の姿だ。 人事として多くの社員を見ていると、組織の空気に馴染もうと自分を殺している人をよく見かける。本書の登場人物たちは、狂った世界のルールに対してあまりにも従順だ。その姿は滑稽だが、同時に、今の社会で「常識人」として振る舞う私たちの姿と重なって見えてくる。 読んでいると、自分もまた、何らかの狂ったシステムを盲信している歯車の一つではないかという冷ややかな疑念が湧き上がってくる。この読書体験は、ホラーよりも背筋が凍る。
【第3位】短編だからこその鋭利な切れ味

本書は短編集であり、一つ一つの物語は短い。 だが、その短さが逆に、アイデアの鋭さを際立たせている。長編小説のように世界観にゆっくり浸る暇を与えず、最初の数ページで読者の常識を殴りつけ、そのまま置き去りにして終わる。 隙間時間に読める分量ではあるが、読後の余韻(というよりダメージ)は重い。週末の静かな午後に、覚悟を決めて一編ずつ読むのが、この本に対する正しいマナーだと感じた。
どんな人におすすめなのか
✅ おすすめな人(時間を投資すべき人)
- 「普通こうでしょ」という世間の同調圧力にうんざりしている人。
- ブラックユーモアや、価値観が転倒するSF的設定(ディストピア)を好む人。
- 自分の常識を一度粉々に壊されたい人。
🚫 おすすめしない人(ミスマッチの可能性)
- 生理的な嫌悪感を催す描写(食事、性愛など)が苦手な人。
- 物語に「癒し」や「共感」だけを求めている人。
- 食事中、あるいは食事前後の人。
紙 or 電子どの形式で「時間」を使うべきか?
判定:電子書籍「◎」 / 紙「◯」
あえて電子書籍を推したい。理由は二つある。 一つは、外出先(例えばカフェや電車)でこの本を読んでいる時、ふと顔を上げて周囲の人間を見た時の「世界が違って見える感覚」を味わいやすいからだ。 もう一つは、かなり先鋭的な内容を含むため、表紙を他人に見られることなく、自分の内なる世界だけで完結させて読む方が没入感が高いと感じたためだ。もちろん、紙の本として本棚に置いておくのも、一種の「異物感」があって悪くないが。
まとめ:あなたの「時間」を投資する価値はあるか
『生命式』は、決して心地よい読書体験を約束するものではない。 読み終えた後、あなたが今夜食べる夕食や、隣にいるパートナーを見る目が、ほんの少し変わってしまうかもしれない。それほどまでに、この本が持つ「感染力」は強い。
しかし、もしあなたが日々の生活で「常識」という名の檻に息苦しさを感じているのなら、この本はその鍵を壊すための強力なツールになり得る。 私がこの本に費やした時間は、単なる娯楽の時間ではなく、世界を別の角度から眺めるためのレンズを手に入れる時間だった。 その対価として支払う書籍代と数時間は、決して惜しくはない。

