【書評】『叫び』レビュー|祝祭の陰で「歴史の沈黙」に耳を澄ませる
市役所の窓口で、あるいは人事のデスクで、私たちは日々「制度」という名の記号を扱っています。
しかし、その土地の下には、コンクリートで塗り固められた「かつての叫び」が眠っている。
主人公・早野ひかるは、大阪府茨木市の公務員。彼女が、生活保護を受給しながら銅鐸(どうたく)作りに没頭する「先生」と出会うことで、物語は単なる現代劇から、戦時中の阿片製造という歴史の闇へと接続されていきます。
2025年、万博という「祝祭」に沸く関西。
その足元で響く銅鐸の音は、一体誰の声を代弁しているのでしょうか。
結論:この記事は「読む価値」ある?
- こんな気分向け
世の中の「明るいニュース」や「効率的な進歩」に、言葉にできない違和感を抱いている時。 - 読むと得られるもの
私たちが生きる「今」が、いかに多くの「消された過去」の上に成り立っているかという重層的な視点。 - Low calmの判定
「時間投資の価値アリ」(人事労務という「現在」を処理する仕事をしている私にとって、この「過去」の質量は、思考を深く揺さぶる劇薬でした。)
Low calmが「グッときた」ところベスト3
【第1位】「公務」と「銅鐸」が交錯する不穏なリアリティ

市役所の職員という、徹底的に「現代の論理」で動く主人公。
その彼女が、紀元前の祭器である「銅鐸」を鋳造する工程に触れる。
この対比が実に見事です。
人事の仕事もそうですが、効率化されたシステムの中にいると、私たちは人間が本来持っていた野生や祈りを忘れがちになります。
先生が銅を溶かし、型に流し込むその熱量は、冷え切った行政の論理を溶かしていくようです。
【第2位】阿片、満州、そして万博への「線」

この物語が凄まじいのは、個人の物語を「国家の記憶」へと一気に拡張させる点です。
かつて茨木で行われていた阿片製造。
国策という名の下に犠牲になった人々の沈黙
それが、現代の万博という熱狂と地続きであるという指摘には、背筋が凍る思いがしました。
FPとして将来の「資産」を語る時、私たちはその土地が持つ「履歴」をどこまで考慮できているでしょうか。
【第3位】「政(まつりごと)」の本質を問う

物語の終盤にかけて浮かび上がるのは、政治や祝祭の本質です。
人々の目を逸らすための「祭り」と、死者の声を聴くための「祈り」。
人事労務として、組織の融和を説く私自身もまた、何らかの「小さな祝祭」で不都合な真実を覆い隠してはいないか。
本書は、そんな自分自身の仕事への誠実さを問い直すきっかけを与えてくれました。
どんな人におすすめなのか
✅ おすすめな人(時間を投資すべき人)
- 関西の歴史や、万博という事象を多角的に捉え直したい人。
- 壮大な歴史の連なりの中に、自分の立ち位置を見出したい人。
- 「声なき声」を拾い上げるような、重厚な純文学を求めている人。
🚫 おすすめしない人(ミスマッチの可能性)
- 軽やかなオフィスラブや、単純な社会派ミステリーを期待している人。
- 歴史的な背景知識(阿片や戦時下の事情)に全く興味が持てない人。
紙 or 電子どの形式で「時間」を使うべきか?
| 形式 | 判定 | 理由 |
| 紙(新潮2025年12月号) | ◎ | 芥川賞候補作として、時代の証言を「現物」で持つ価値があります。 |
| 電子 | 〇 | 重厚な内容ゆえ、マーカーを引きながらじっくり読み解くのに適しています。 |
| オーディオブック | △ | 銅鐸の「音」の描写を文字で味わうことこそ、本作の醍醐味です。 |
まとめ:あなたの「時間」を投資する価値はあるか
『叫び』は、決して読みやすい物語ではありません。
しかし、読み終えた後、ふと足元の地面を意識せずにはいられなくなります。
私たちが「当たり前」に享受している平和や経済活動の底流には、かつて誰かが上げた、しかし誰にも届かなかった「叫び」が埋もれている。
そのことに気づくだけでも、他者への想像力は少しだけ優しくなれる気がします。
冷え込む夜、古い銅器のような深い色合いの紅茶を淹れて、この壮大な物語の響きに耳を澄ませてみてください。

